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第30回エイサー祭り 9月12日 決定!!綱・美ら・エイサー祭り主催:綱・美ら・エイサー祭り実行委員会
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| 賛同協力金カンパ | 1口 千円 |
| 個 人 | 1口以上 |
| 団体・企業 | 5口以上 |
| 郵便振込口座番号: 00920-4-266277 加入者名(口座名): 関西沖縄文庫 |
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| 問い合わせ先: 綱・美ら・エイサー祭り運営事務局(関西沖縄文庫内) 〒551-0011 大阪市大正区小林東3丁目13-20 Tel/Fax 06-6552-6709 担当委員 金城 馨、米須 弘、島尻浩喜、中村和文 |
| エイサー出演団体 |
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がじまるの会(大阪) 東京沖縄県人会青年部(東京) 京都琉球遊ゆう会(京都) 沖縄かりゆし会(大阪) レキオ(兵庫) 琉響伝(大阪) 西成でいごの会(大阪) 平敷き屋エイサーたもつ(奈良・大阪) 愛知琉球エイサー太鼓連(愛知) 大正子供エイサー団(大阪) 屋部若獅子会(沖縄・名護) 名桜エイサー(沖縄・名桜大学) |
| 協賛・後援・協力 各種団体 |
| 後援 大正区沖縄県人会、大阪沖縄県人会連合会、 沖縄県人会兵庫県本部、沖縄県大阪事務所、 (財)沖縄観光コンベンションビューロー大阪事務所、 (財)大阪観光コンベンション協会、 大阪商工会議所 |
| 協賛 (株)第一港運、(株)ゆいまーる沖縄 |
| 協力 大正区、大正区小中高各学校関係、与那原大綱を送る会(沖縄) |
○心をつなぐ大綱曳(オオツナヒキ)
綱の長さ85メートル、重さ5トン。「綱・美ら・エイサー祭り」の大綱曳で使われる大綱のサイズである。オス綱・メス綱による大綱曳は、日本国内では沖縄でしかみることができない非常に珍しい綱曳である。その大綱曳きが、大阪は大正区で開催されることになった。
大綱の出身地は、沖縄県の与那原町(ヨナバルチョウ)、与那原町は、沖縄本島南部東海岸に位置している。天然ヒジキの採れる場所として知られているほか、与那原大綱曳があることででも有名である。
沖縄全島に伝承される綱曳は、昔から、エイサーとともに沖縄の人々に親しまれてきた。オス綱(東)・メス綱(西)で東西に分かれて引合う大綱曳は、全島あげてのイベントである。ウチナー(沖縄)の熱狂的なチナムシ(綱曳狂)ならずとも、思わず気合いが入ってしまう。
沖縄の綱曳は、五穀豊穣・琉球王国の安泰・民衆の繁栄を神に感謝し祈願するため、尚永王(ショウエイオウ)(1573年〜1588年)の時代に始まったといわれる。尚永王は、第二尚氏・六代目の琉球国王である。尚永王といえば、守礼之門にもゆかりがある。
首里城(シュリジョウ)の入り口にある守礼之門を見上げると、「守禮之邦(シュレイノクニ)」と書かれた扁額(ヘンガク)が目につく。あの扁額を掲げたのが尚永王である。守禮之邦とは、「礼を守る国」という意味で、「礼」は、中国伝来の儒教精神の要(カナメ)であった。中国皇帝の命を受けて、北京から福建、さらにはるばる海を越えて琉球へ赴いた皇帝使節団は数百人に及んだ。琉球王府は、中国皇帝の使節団に敬意を示すためにあの扁額をかかげたのであろう。琉球国王の世子(次の琉球国王)は、扁額の掲げられた守礼之門の下で諸役人を従え、使節団の一行を丁重に出迎えたという。いつの世も平和を愛し、争いを好まないウチナーンチュ(沖縄人)。ウチナーンチュにとっては、来琉する異国の人々を心から敬い、深い情をもって迎え入れるということがごく自然なことであった。くったくのない沖縄人の笑顔は、長旅で疲れた異国の人々の身心を癒すのに十分であったに違いない。同じように、「沖縄伝統の大綱曳を関西で」という試みもまた、平和を愛してやまないウチナーンチュの心意気のあらわれである。
さて、沖縄の大綱曳には、意外な裏話が隠されている。日本国中どこを探しても見あたらない沖縄のオス綱・メス綱の大綱曳。その大綱曳が、何と、朝鮮半島の南部地域に存在していたのである。さらに、朝鮮半島南部の大綱曳は、何から何まで沖縄の綱曳とそっくりだというのである。綱曳研究者小野重朗氏は、「沖縄の大綱曳は、もともと朝鮮半島南部にあったオス綱・メス綱の大綱曳が、交易を通じて沖縄にもたらされたものである」と語っている。
沖縄が東アジア諸国を相手に交易を展開していた時代、朝鮮半島南部から東シナ海を渡って沖縄に伝来した大綱曳。以来大綱曳は、沖縄への薩摩侵略、および第二次世界大戦などの激動の時代をくぐりぬけ、名もなき民衆の手によって今日まで伝承されてきた。苦難の嵐をものともせず生き延びてきた大綱曳が、21世紀の東シナ海を越え、大阪の大正区にやってくる。大正区で開催される沖縄の大綱曳が、国と国、人と人、心と心、さらには地球上にあるすべてのものを結びつけてくれることを心から期待したい。
○与那原大綱曳きとは 〜説明とパンフレット写真〜
大琉球の誇り・与那原大綱曳は、今をさかのぼること四百数十年前、豊凶を祈る神事としてはじまりました。東西に分かれた雌雄二本の大綱の結合によって実りを予祝し、勝敗によって豊凶を占う伝統行事です。支度(シタク)を乗せた大綱が街をねりあるく姿は、まるで神竜を思わせる勇壮な姿です。この祭りに参加すると無病息災、子孫繁栄の御利益があると、町内外から毎年何万人もの人々が参加します。
→ よなばる.JP(与那原町商工会)

その他、沖縄の綱引き
沖縄の各地に存在する行事で、おおきくわけて稲の収穫を祝う六月ウマチー(稲と麦の生育を願っての祭)前後に引く綱と、旧暦8月15日頃に引く綱に分けられる。
沖縄の綱引きは雄綱、雌綱に分れて引かれる。勝負によって吉凶を占う年占いの要素も含まれていると言われている。幸を引き寄せようとする人々の思いも綱引きにこめられる。
○与那原大綱曳きに関する記事
沖縄タイムス 2004年8月1日の記事(クリックすると拡大表示します。)
毎日新聞2004年8月27日記事(クリックすると拡大表示します。)
沖縄タイムス2004年8月30日記事(クリックすると拡大表示します。)

2004年8月15日与那原大綱曳き写真1(琉球新報提供)

2004年8月15日与那原大綱曳き写真2(琉球新報提供)
| 8月 6日 | 協力団体説明会(大正区コニュニティーセンター 4時) |
| 8月 7日 | 事務局会議 (沖縄文庫 7時) |
| 8月14日 | 与那原祭りに参加 |
| 8月15日 | 〃 綱引き後交流会 |
| 8月16日 | 大綱 大阪へ向け輸送開始 |
| 8月21日 | 事務局会議 (沖縄文庫 7時) |
| 8月28日 | 事務局会議 (沖縄文庫 7時) |
○実行委員会結成される!
8月1日、大正沖縄会館で「綱・美ら・エイサー祭り」実行委員会が正式にたちあがった。
今年のエイサー祭りは第30回記念ということで与那原大綱を大阪で曳く企画たて与那原側の協力を得て準備をしてきた。エイサーも沖縄から名桜エイサーと屋部若獅子会がこころよく出演を引き受けていただくなかでの実行委員会結成であった。
実行委員会の結成式は、沖縄から名桜エイサーの代表二名も駆けつけ九団体・約50人の参加で行われた。実行委員長米須さんの挨拶のあと、与那原大綱曳きのビデオを見てそのあと金城馨さんから祭りの意義、与那原との打ち合わせ状況と準備の報告が行われた。
そして各参加団体からそれぞれ挨拶とアピールが行われた。名桜エイサーからは名桜エイサー50人、屋部若獅子会50人の参加が報告された。最後にがじまるの会会長の挨拶で締めくくり、祭りの成功へ向けて結成式を終えた。その後、交流会に移っていった。得意の唄や踊りで会場が盛り上がり、祭りへ向けて熱意が一段と湧きあがる交流会となった。
祭りまであとわずかの期間しかありません。実行委員会を機能させ祭りを成功させよう!
8月6日(金)午後4時から大正コミュニティーセンターにて大正区役所、沖縄県大阪事務所、(財)沖縄観光コンベンションビューロー大阪事務所、(財)大阪観光コンベンション協会、大阪商工会議所、サンクス平尾振興組合などの団体と祭りの準備について進行状況など報告会を開催しました。
与那原町の大綱と共に150人を超える多くの人が大阪に来ることが決まり、今後大阪での受け入れ態勢を作っていくことが作業の中心となるが、そのためには資金や協力スタッフの募集など地域の各団体との協力体制が必要なことを説明しました。
参加者からは大阪の観光イベントとしても沖縄の観光祭事の紹介と言う点からも今回の祭りの企画が時期を得ているなどの意見があり、それぞれの団体から祭りの宣伝や、場所の提供など様々な点で協力体制にあることを確認できました。
また大正区長は、翌月の大正区区民祭りにも是非綱曳きを披露してほしいなどの依頼もあり協力体制が大きく前進したことを確認できました。
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●「エイサー祭り」の運営は皆さんのカンパでまかなって そして、入り口で「エイサー祭り」のパンフレットを\○○○(未定)で ●毎年、多くの参加者、見学者の増加に伴いゴミの出かたも エイサー祭りは環境に優しい運営を目指しています。 |